1952-05-23 第13回国会 参議院 法務委員会 第43号
又百二十五條、百二十六條或いは二百三十六條第一項の強盗というような、こういうようなことがらというものを手段として、そうして集団的な継続的な共同の目的を持つた団体が国家の基礎というものを危くする、基本秩序というものを破壞するというようなことをいろいろと並べておりますけれども、その国というものをどういうふうに育成化育するかということになりますると、竹の皮を落すまいと政府がこれを支えておりましても、これは自然の攝理
又百二十五條、百二十六條或いは二百三十六條第一項の強盗というような、こういうようなことがらというものを手段として、そうして集団的な継続的な共同の目的を持つた団体が国家の基礎というものを危くする、基本秩序というものを破壞するというようなことをいろいろと並べておりますけれども、その国というものをどういうふうに育成化育するかということになりますると、竹の皮を落すまいと政府がこれを支えておりましても、これは自然の攝理
今更非理法権天の譬えを言うまでもなく、理は非に勝つ、法は理に勝つ、而して権力は法ならぬかかる悪法を制定せしめんとするものであるが、併し如何なる権力も天の攝理に勝つことはできない。日本共産党は、天の攝理に全く矛盾した講和、安保の二條約並びに行政協定の廃棄のため戰い続けると共に、かかる悪法を断固粉砕するために戰い抜くものであります。(拍手)
しかしながら国家の立場から申しまして、何かおかしいことを申すようでありますが、国土へそういう生物をおろすということは、神の攝理としてこれは当然われわれその国土に住むものが、それだけの人間を養つて行く責任がある。これを養えないのは政治の貧困である、こう私は考えておるのであります。ベルギーのごときは産児制限をしておりません。
從つて彼の見解からすれば、かつての日清戰爭や日露戰爭、また第一次世界大戰における日本の戰爭は、勝つた限りにおいては神の攝理において正しかつた。こんどの戰爭は負けた限りにおいて神の攝理から見て間違つている、こういう論法になる。從つて彼はカソリツク信者であるということで、ある場合には戰爭遂行に、ある場合には絶対平和思想に、どちらにでも向くことができる。
そういう意味において新憲法の下における男女平等権利を攝理して行く方が、私は今日の情勢に照らして見れば適当じやないかと思うのであります併しながらどこまでも刑罰節用ということはできるだけやる必要があるのであります。それ故に私の考え方から申しますれば、両方共平等に処罰をするのである。
統制は人心の機微と自然の攝理を十分に弁まえ、そうして合理的な無理のない統制でなくてはなりません。然るが故に私は統制を以て万事が解決するかのごとく考えまするのは、それは官僚主義であろうと存じます。(拍手)統制とは必然の認識の上に立たねばなりません。